印象に残った文(一部)
多くの人が自分の暮らしに自信が持てずに、自分の未来に不安を感じるし、まだ大丈夫と思いつつも、気持ちがゆらゆらして満足しないのです。(p.15)
微生物が環境に適応するための合理性が、結果として美しい文様を作るように、小さな秩序が積み重ねられて、民族の見事な食文化ができたのです。(p.21)
日常は常に冷静でいることが望ましい。(p.27)
素材を生かすには、シンプルに料理することが一番です。(p.29)
一つ一つの作業にけじめをつけておこなう慣わしを持つ民族だから、海から遠く離れた山の中でも、安心して刺身が食べられるのです。(p.34)
毎日庭を掃いていると、掃いている人にしかわからないことがたくさんあることを知るでしょう。(p.37)
「生きることの原点となる食事的行動には、様々な知能や技能を養う学習機能が組み込まれている」(p.42)
でもこの「一汁一菜でよいという提案」のよいところは、仲間を募ってみんなでやろうとしなくても一人でできることです。(p.55)
つまり、味噌汁とご飯でも、その組み合わせによって、一汁一菜のご馳走になるのです。(p.86)
家庭料理の本質とは遊びでもなんでもありません、生きることそのものです。(p.98)
家庭料理が、いつもいつもご馳走である必要も、いつもいつもおいしい必要もないのです。(p.104)
そして、情緒のやり取りからデータとして身体の中に蓄積したものによって、物事を判断する基準を持つことになります。自分の中で揺らぐことのない、変化しない「定数」が生まれるのです。(p.111)
職人は、目に見えない裏側までをきれいに仕上げるのは当たり前のことで、その裏の仕事が表に現れることを知っていました。(p.149)
権威社会である日本では、権威の存在しないところに、サブカルチャーとしてときどきすごいものが生まれるようです。(p.165)
今は何でも専門家の時代のようで、専門家でなければその道のことをやってはいけない、話してはいけないようになっています。けれど、きれいなものはだれにでも作れるし、作ってもよいのです。(p.192)
読んだ感想
なんでか忘れたけど気になっていた本。
Yahooのカートにずっと入ったままだったが、健診後の有隣堂で見つけて購入。
思っていた以上に内容が深かった。
食事をするという行為の意味や価値についてわかりやすく語られている。
この本に救われたというレビューも納得。
私は普段から自分の分だけを作る時に、あるものテキトーに入れる味噌汁とか麺料理とかをよく作っている。
それでいいんだと思えるし、今やってることをちゃんと続けていこうと思える。
土井善晴さんの、穏やかな雰囲気でありながら現代社会への批判的な姿勢を見せてくる感じが心地いい。
料理と人間の進化とか、日本の文化とか、食の経験が実観となることとか、いろいろな角度で食のことをとらえていてとてもしっくりきた。
私には合っている視点が多いので、納得がいった。
(2022.9)